瀬戸内町の清水(せいすい)集落では
旧暦9月6日夜から7日早朝にかけて
伝統行事「ティーヤ」がおこなわれています。
新暦で言うと、今年は10月20(土)・21日(日)でした。
この「ティーヤ」は、清水にある厳島神社の祭り。
清水のはしっこ、嘉鉄集落側の県道沿いに神社はあります。
海に向かって、そして集落を見守っている厳島神社。
ティーヤとは、「通夜」からきているそう。
集落住民が神社に集まって
お酒を飲み楽しみながら夜を過ごし、
その翌朝、神前にソテツの葉を供える『ヒヨヒヨ』を行います。
「無病息災と五穀豊穣を祈る行事」
と集落では言い伝えられています。
かつては本当に夜通しで祭壇に明かりを灯し楽しんだため、
通夜・徹夜=ティーヤと呼ばれたとのこと。
旧暦行事で平日のことも多く
現在では、会社勤めのかたも多いため、
徹夜することはないようです。
「元禄」の文字が刻まれており、
瀬戸内町内でも最も古い神社ではないかと言われています。
旧暦9月6日の朝8時から集落では準備作業に入ります。
婦人会は公民館で、お供えの団子づくりなど。
ころころと、かわいらしい団子。
お供えしたあと集落の人たちに配るので、大量です。
餅粉と米粉合わせたもの4kg分を小さめに作って。
このあと茹でてできあがり。
左上からウシュンメ(海水で洗ったお米)、シュク(粢・しとぎ、神前に供える餅として米粉を練ったもの)、
団子、そして米と塩。
一方、男性陣は厳島神社周辺の清掃です。
厳島神社は海の神様。
社殿すぐ横に階段が。
昔は、ここからまっすぐ海岸に向けて参道、そして鳥居があったそうです。
現在は県道が通っているので道が分断されています。
ガードレールの向こう側。
神社から続くかつての参道。
この日は、もちろん清掃していました。
神さまの通り道を丁寧に清める。
清々しく、とても気持ちのいいものですね。
社殿の裏に、自然石が祀られています。
こちらに左から海水、酒、水をお供え。
そして・・・
午前中に準備は終わり、
午後8時ごろ、集落の人々が神社にふたたび集まって来ました。
朝に作った団子などを神前に供えます。
こちらにも海水、酒、水も。
ミキも芭蕉の葉で蓋をして。二樽供えていました。
集落のかたがたは、神社に着くと
社殿の外にある自然石と、
中の祭壇の両方に線香をあげて主に家内安全の祈願をします。
そのあと男性は主に外、女性陣は中で。
みんなでお酒など飲みながら歓談。
チヂン(太鼓)で八月踊りの唄をうたったり、
ギターで懐メロを歌ったり。
こんな感じで夜が更けるごとに人が増えて盛り上がり、
宴会は0時半ぐらいまででお開きになったようです。
この日は月がとても綺麗でした。
なんと月の光が海の上で道となって、
むかし鳥居があったところから参道へとまっすぐ続いていたのです!
午前中に掃除をしていたところ。
神さまがこの日は厳島神社へいらっしゃっていたのでしょうかね。
そして旧暦9月7日、朝6時。
厳島神社へ向かうとすでに「ヒヨヒヨ」が始まっていました。
この「ヒヨヒヨ」は、
集落の人たちが「ヒヨヒヨ」と唱えながら、ソテツの葉をちぎって社殿に投げ入れていきます。
中には数える人が。
決まって左回り。
昔は子どもがいっぱいいたので、ソテツを投げ込むのは子どもの役割だったとか。
ヒヨヒヨはソテツの葉が1000本になるまで続けられます。
まずは10本ずつ束に。
10本をまとめて、100本の束に。
1000本になりました。
残念ながらこの「ヒヨヒヨ」の意味と由来は、
はっきりとは伝承されていないよう。
明治42年生まれの野村エダさんにうかがった話が
「南島研究 45号」(南島研究会編)の 『サニの民俗 / 町 健次郎 』にありました。
『ティーヤの由来は、藩政時代に大火があって清水村が焼けた事件のあとにはじまった行事という。
また、神社は元々「トノチ(殿地)」とよぶ七軒の持ち回りで管理していたもので、
祭りの意味は清水にもっと人が増えるように、子孫繁栄の祈願である』
こちらも神前に一年間供えられ、一年ごとに新しいものに変わります。
朝6時15分過ぎ、
そろそろ集落の人たちがミキをもらいにやってくるので準備をします。
ウシュンメ(海水で洗ったお米)を団子にふりかけます。
清水集落のみなさんが、容器を持参してミキを受け取りにきました。
この日は日曜だったためか、例年より人が多く集まったよう。
用意した30リットルはあっという間になくなりました。
このミキは、サツマイモ・米などを材料にした発酵飲料。
ミキと一緒に神前に供えた団子も一緒に配ります。
神前に供えたお米と、お塩も小分けして
集落の人々に分けていました。
清水のかたがたは、特にこの塩を魔除け・お清めのものとして、
とても大切にしています。
出かける時に少しずつなめたり、
また車の中に入れたり、遠出する時はタイヤにふりかける。
何か悪いことが起こったら触ったり。
少しずつでも分けて、都会に住んでいる子どもさんにも送って、
お守りとしてもたせたり、
アパートを借りる時にまいたりもするそうです。
豊年祭は多くの人が参加できるようにと、
旧暦8月15日前の土日に日にちをずらして開催することがありますが、
このティーヤは、平日であろうと旧暦9月6日に必ず行います。
それは、旧暦9月6日が、「ここの神さまの誕生日だから」と集落のかた。
旧暦9月9日に「グンギン祭り」として、
集落を見守る山にあるグンギン(権現)さまにミキを持参し、
家族の健康と安全を祈るという行事は
奄美大島内や瀬戸内町でもよくあるのですが、
ソテツの葉を供えるのは珍しいようです。
清水ならではの行事で、
「ヒヨヒヨ」という唱え、
供えるソテツの葉は1000本。
集落のかたにとっても謎が多いままですが、
「ティーヤは、清水だけの伝統行事」と誇りを持っていらっしゃいます。
清水集落に住んでいるわたくしも、
この行事に参加。
みなさんが大切にしている清めのお塩、
1年間、自分を守ってくれる大事なものとして使わせていただきます。
2012.10.20・21 (旧暦9月6日・7日)
瀬戸内町 清水
S.B.I (瀬戸内町 文化遺産 活用実行委員会) 広報K
鹿児島県 奄美大島 瀬戸内町立図書館・郷土館内