先月のことになりますが。
平成25年9月19日(木)
瀬戸内町 「油井集落」 では 豊年祭 が執り行われました。
油井集落は瀬戸内町・古仁屋から西へ車を走らせること20分程にある集落です。
油井の豊年祭は
「多少の雨風が吹いても旧暦8月15日に行われる」ことで、知られてきました。
ですが、昨年は豪雨災害の爪痕残る中での台風接近。
豊年祭を見に来ていただく方たちの安全を考慮し、豊年祭の開催を見送る運びとなりました。
ユイッチュ(油井集落出身者)が待ちに待った今年の豊年祭。
皆さんの願いが通じたのか、豊年祭当日の空には青空が広がっていました。
油井の豊年祭では「油井の豊年踊り」が奉納されます。
「油井の豊年踊り」は昭和58年(1983)に鹿児島県無形民俗文化財に指定され、
現在では加計呂麻島「諸鈍集落」の「諸鈍シバヤ」と並び、瀬戸内町を代表する民俗芸能となっています。
油井の豊年踊りは以下の通り、執り行われます。
(1)綱切り
(2)振り出し(力士の土俵入り)
(3)土俵祓い
(4)稲刈り
(5)稲すり
(6)米つき
(7)ちから飯
(8)観音翁の土俵見舞い(ヒゲフッシュ)
(9)玉露カナ(シシ)
(10)ガットドン
この他に、油井小中学校児童生徒によるエイサーや親子・兄弟相撲、初土俵入り、テンテン踊りなども披露されていました。
(1)綱切り
「ヨイヤサ、ヨイヤサ」の掛け声とともに綱引きが始まります。
綱は東西に渡され、集まった老若男女で綱引きが行われます。
綱引きといっても、力いっぱい綱を引き合うのではありません。
西へ東へ綱がゆったり、ひかれるだけ。なんとも穏やかな綱の引き合いなのです。
そこへ、晴れ着に身を包んだ集落の方たちを率いて紙面をかぶった者がやってきて、綱に足をかけ綱を切るマネをしたり、綱引きの応援をしたりします。
唄三味線の一群から、突然「シシ」が登場!
疾風の如くやってきて、綱を切って逃げていきます。
切られた綱はすぐに結ばれ、綱引きが再開されます。
綱は2回切られ、2回結ばれます。
「シシ」がまた走ってきますよ!
この「シシ」の姿をみて、思わず泣き出す子供の姿も。
そして3回目の綱が切られ、喜び踊る「シシ」の姿!
綱が切れた瞬間、場内からは歓声と拍手があがっていました。
最後に切られた綱は結ばず、シシを先頭に集落の方たちが歌う「ホコラシャ節」とともに土俵へ運ばれます。
この綱は土俵上の「小俵」として、丸く埋められます。
(2)振り出し
振り出しの前に、力士たちはお清めを行います。
さぁ!気合を入れて振り出しに臨みますよ。
法螺貝の音高らかに、力士たちの「ヨイヤ!」「ヨイヤ!」の掛け声が響きます。
奉納相撲の旗を先頭に、勇壮な土俵入りを見ることができました。
(3)土俵祓い
紙面をつけ鎌をもった者が「サーテンテンテンナ~ シトルクテンテン」の唄と三味線の軽快なリズムとともに土俵に上がります。
土俵では鎌を振り、踊り周りながら土俵上の厄を払い、また豊年祭が無事終了することを祈願します。
(4)稲刈り
野良着にクバ傘をかぶった男が、鎌と「オーコウ」と呼ばれる天秤棒を持って登場します。
この演目は農民が豊作の田んぼから稲を刈り取り、天秤棒で担いで帰るという、稲刈りの一連の動きとその収穫の喜びを表現したもの。
「ホーエラエー」と「アブシクエロ」の楽が、農民の動きを一層ユーモラスに見せてくれます。
今年は2年分の収穫なので、きっと大豊作だったんでしょうね。
(5)稲摺り
この演目は、脱穀された籾を摺り臼でひき、玄米にしていく稲摺りの一連の動きを表現したもの。
稲摺りはスルシ(摺り臼)役の女性一人、スルシをひく女性2人、サンバラ(竹製のザル)を持った女性が2人の、女性ばかりの5人で踊ります。
「油井の豊年踊り」の特徴のひとつに、「女性が奉納芸能の演者となっている」ことが挙げられます。
たおやかで優雅な動きは、やはり女性ならではです。
摺り臼役の女性は赤い花模様の着物と青い帯という、鮮やかな装束姿。
着物の襷(たすき)がけから延びる赤く長い紐を交互に引くことで籾すりの様子を表現しています。
赤い帯が宙をはためく様は、なんとも幻想的。
まるで「稲霊」が宿っているかのようです。
サンバラに受けた玄米から籾殻を取り除いているのでしょうか。
美しい手の動きに、思わず見入ってしまいます。
(6)米搗き
シマのキュラニセ(美男子)達による、「米搗き」は「油井の豊年踊り」の見どころの一つ。
土俵に上がり、きりりと鉢巻を締めたキュラニセ達が肘を杵に見立て、米搗きの仕草をする演目です。
唄三味線のテンポがだんだん速くなるに従い、土俵に打ち込まれる杵の回数も増していきます。
その様子に見る者の眼と心は鷲掴みにされてしまいます。
(7)ちから飯
油井の豊年祭では「サンダンカ」の花が、「ちから飯」を彩ります。
「ホーエラエー、ヨイヤサノサ」の唄と太鼓の音も楽しげに、「ちから飯」の演目は始まります。
ご婦人方がサンバラに「ちから飯」を載せ、土俵を一周。
「ちから飯」は土俵に待機していた、力士の手へ渡されます。
力士たちは掛け声とともに土俵中央の紙垂(しで)に向けて「ちから飯」を頭上高く掲げます。
力士から「ちから飯」をいただけると、その一年無病息災になれるそうです。
ちびっこ力士の持つご利益にあやかれた幸運な方は誰だったのでしょうか。
(8)観音翁の土俵見舞い(ヒゲフッシュ)
この演目は、長い髭を付けた観音翁(ヒゲフッシュ)が弁当持ちを従え、豊年祭の様子を見物にやってきた様子を表したものです。
杖をつきつき、歩く観音翁とそれを労わる弁当持ち。
そこへ長鎌持ちが現れ、二人にいたずらを始めます。
最後は観音翁に懲らしめられる長鎌持ちですが、3人の掛け合いの妙が、何とも滑稽な無言劇です。
(9)玉露カナ(シシ)
はやし唄の調子に合わせ、手踊りをする女性と長鎌を振り、女性と共に踊る長鎌持ち。
そこへシシが現れます。
女性に襲い掛かろうと、様子をうかがい近づいたり離れたりする様子は、「本当に人間が演じているのかしら」と
疑ってしまうくらい、人間離れしています。
そして、女性に襲い掛かろうとした瞬間、長鎌持ちの長鎌によって、シシは見事仕留められ、力士たちによって何処へか運ばれてしまいます。
(10)ガットドン
座頭が川を渡る様子をユーモアたっぷりに演じています。
杖で川の深さを図ったり、途中で休憩しているのでしょうか?腰に下げたお酒を飲んだりします。
そして、敬老席に向かった座頭は、あろうことか粗相をしてしまいます・・・
おしりを拭く様子のなんと滑稽なこと!
思わず覗き込んで見ちゃいますよね。
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油井の豊年踊りの合間には、以下の余興も披露されていました。
油井小中学校、女子によるエイサー
近年、奄美の学校行事や集落豊年祭余興ではエイサーの出番が少なくありません。
エイサーの軽快な音楽とパーランク(手持ち太鼓)を打ちながらの動きのある踊りは、やっぱりかっこいいですね。
初土俵
今年は2年分の初土俵。
知らないおじちゃんに抱っこされ、土俵に上がって不安のあまり泣き出す子も。
その泣き声が大きい子ほど、場内からは暖かい笑い声が湧き起っていました。
お花をいただいて、すぐに泣き止む子もいたり(笑)
みんな健やかに成長していってほしいですね。
テンテン踊り
青壮年団、婦人会の有志による、テンテン踊り。
みなさん本当に楽しそうに踊っています。みなさんの笑顔に、見ている方も楽しくなってしまいます。
相撲
油井の豊年祭では、相撲の取り組みの多さに驚きます。
「土俵祓い」の後に、まず「前相撲」が行われます。
前相撲は一組のみの取り組み。
子供力士が土俵に上り、最初に勝負に勝った方は、次の取り組みでは負けるという形式となっています。
その他にも小中学生による相撲や、兄弟相撲、青壮年団による職域相撲などなど。
油井の豊年祭は「相撲を堪能できる豊年祭」とも言えるかもしれません。
そして、豊年祭の最後には「結相撲」が執り行われます。
この取り組みも「前相撲」と同じく一組のみ。
結相撲が終わると、豊年祭も「八月踊り」を残すのみとなります。
八月踊り
唄とチジンの音が、八月踊唄の調子にかわります。
ススキの葉を一束さした焼酎瓶を担ぎ、力士たちは土俵へ。
会場にいる人全員参加の八月踊りが始まります。
八月踊りを教え、教えられつつ、ユイッチュも見物客も一緒になって八月踊りの輪の中へ。
ミヤーに鎮座するイビガナシたちも楽しげに見える、祭の終わり。
瀬戸内町文化遺産活用実行委員会では
油井の稲作から豊年祭に至る長期間に渡って取材をさせていただきました。
取材を通して実感したことは油井集落の方々が「人と人とのつながり」をとても大事にされている、ということでした。
集落行事を大切に後世に伝えていこうという心意気。
大変なことも多くあると思います。
でも、その大変さを微塵も感じさせない、ユイッチュの楽しげな笑顔。
その笑顔に魅了され、訪れる人たちは「来年も油井の豊年祭を観に行きたい!」と思うのかもしれません。
本委員会の取材に協力していただいた、油井集落のみなさん。
本当にありがとうございました。
< 参考文献 >
・ 「瀬戸内町誌 民俗編」 瀬戸内町
・ 「瀬戸内町の文化財をたずねて」瀬戸内町
・ 「平成9年度 文化財会報」 瀬戸内町文化財保護審議会
瀬戸内町・油井集落
S.B.I 調査員 S.K
2013.10.14