平成25年8月19日から21日は、島のお盆でした。
今回は加計呂麻島 諸鈍のお盆を紹介します。
島のお盆は旧暦で行われます。
旧暦 7月13日 ⇒ 迎え盆
7月14日 ⇒ 中日
7月15日 ⇒ 送り盆
そして、シマのお盆は旧暦の7月7日、七夕ともつながりがあります。
迎え盆の1週間前、旧暦7月7日。
七夕の早朝に飾りつけした竹を庭に飾ります。
ご先祖様は七夕飾りめざして帰ってくると言われているので、
ご先祖様に帰る所をわかってもらうように高くあげます。
七夕の日は、なぜか雨が降る事が多いようです。
そして、7月13日の早朝に七夕飾りをおろします。
7月13日前日までに、各家庭ではお盆の準備が行われます。
祭壇には果物や型菓子(ムスコ)やりゅうひ餅などのお菓子、花(ショウロウバナを中心とした)を供えます。
お墓に迎えに行く前に、祭壇にお茶・お水・お酒をお供えします。
昔は、型菓子・りゅうひ餅も各家で作っていました。
ご先祖を迎えて帰って来たら、家族でお茶を飲んだりしていました。
また、他の家に行く時は、お金を包んで持って行くのではなく、りゅうひ餅を2~3升作って箱に入れて持って行ったそうです。
こねればこねるほど日持ちがし、のびも良かった「りゅうひ餅」は、冷蔵庫のない時代、貴重なお菓子でした。
鍋にひっついて残っているのを食べるのが、子ども達の楽しみで、特に 焦げてるところがおいしかったそうです。
【15日のお供え】
①朝 おかいさん・おつゆ・塩・つけもの
②昼 ごはん・おつゆ・煮物・酢のもの
③送りにいく前 餅の吸い物・とうふの吸い物・厚揚げ(刺身)・酢の物
①朝のお供え
③送りに行く前のお供え
お向かいの家の様子も見てきました。
ここの家では、13日はお供えをしなくて、14日と15日の2日間 お供えを出してました。
(お箸はバッテンして器に置いていました⇒実家の安脚場では、ご飯に刺すそうです)
【15日のお供え】
① 朝 おかいさん・みそ汁・塩・つけもの
② 昼 おかいさん・みそ汁・かぼちゃの煮物・つけもの
②昼のお供え
お盆に取り行われる様式は各家庭でそれぞれ違い、また、お姑さんからお嫁さんに引き継ぐ時に、簡素化されていっているようです。
型菓子は自分で作られていました。緑色は青汁を入れたとのこと。
お向かいさんから聞いた話によると、
実家の安脚場集落では、もう一つテーブルを出してお供えが山盛りだったようです。
(お供えの品)
・皮ピーナツをゆがいたもの
・天ぷら
・あばら
・里芋の煮付け・塩煮 など
お供えが山盛りなのは、
お供えとお参りに来てくれたお客さんに出すのと兼ねてたのでは? という事でした。
送り盆は、家から提灯を持ってお墓に行き、親戚などのお墓にもお参りします。
親戚の墓もお参りするので、線香もたくさん必要です。
いっぺんにたくさんの線香に火をつけるのは難しい~(>_<)
この時、お墓に活けていたショウロウバナは取るそうです。(写真はショウロウバナを取った後)
祭壇で飾ってあった、ショウロウバナ
※長い緑色のものが、ショウロウバナ(メドハギ)です。
昭和31年頃までの諸鈍では、15日の晩、地区ごとに分かれて、子ども達は踊ったり、各家庭をまわってお菓子(型菓子やりゅうひ餅)をもらうムチムレ行事があったそうです。
★私の素朴な疑問
何で16日は仕事したらいけない日なのでしょうか?
誰か教えてください。
★今回見つけた、おもしろいもの
よく見たら、お水を備えてる湯のみは1981年!!(写真)
しかも、加藤百貨店の文字が…(写真)
お盆がいつから続いてるのかなぁと調べてみると、
『瀬戸内町の文化財をたずねて』に「昭和に入ってから島に広まった行事のようである。」と書かれていました。
私の故郷、大阪ではお盆といっても特に何をするわけでもないので、島で毎年先祖を祭るのはすばらしい習慣だと思います。
これからも、ずっと続いていって欲しいです。
130821 加計呂麻島 諸鈍
調査員 NORi
参考文献『瀬戸内町の文化財を訪ねて』