諸鈍 シバサシ前日 

2012年10月04日 | 関連する集落:諸鈍
9月28日は、旧暦8月13日ミズノエ。
この日は「シバサシ」と呼ばれる日でした。
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旧暦8月初丙のアラセチから7日後で、
お盆同様に、あの世から霊を迎える行事があります。


瀬戸内町でも中心部の古仁屋では、ほとんど見られなくなりましたが、
加計呂麻島の鎮西地区では、
シバサシをやっているところが多いとのこと。

そこでシバサシの前日に
加計呂麻島の諸鈍(しょどん)、渡連(どれん)、生間(いけんま)集落の様子を見に行ってきました。


こちらは、諸鈍のMさんのお宅。
お昼13時ごろに伺うと、門のそばで何かを燃やしていました。



ワラヒントウ(藁を3、4本束ねて折り曲げたもの)に、
スクブ(籾殻)、チカラグサ(和名:オヒシバ)を一緒にして、
火をつけて煙をだしてくすぶらせていたところ。



旧盆で迎えるのは、祖父母や高祖父母など自分に身近な祖先の霊。


それに対してシバサシは、コスガナシ(高祖様)を迎える日。

コスガナシとは、顔の知らない、ずっと大昔の人や三十三年忌を済ませた霊、
または海で亡くなった人の霊などのこと言うそう。

コスガナシは、海からやってくると信じられており、
濡れていて寒いので
まずは家の入口で体を暖めるために
このようにワラなどを燃やして迎えるのです。


この門口でワラを燃やし煙を出すのは、
コスムケと呼ばれています。

このあたりでは、シバサシ前日にコスガナシを迎え
シバサシ当日には送るとのこと。
 



体を暖めた霊がすぐにご馳走が食べられるようにと、
玄関口で外に向けてお供えを並べていました。

線香を3本立てて、
これを3回繰り返すとお供えはさげます。
 


左のお膳には、魚や里芋のニムン(煮物)、団子、赤飯、魚の汁ものなど。
魚は骨の多い魚、赤い魚は使ってはいけないそうです。
ワラで作ったお箸も添えてあります。



右のお膳には、サトウキビ、ミカン、お茶、お酒、お水。
こちらの膳だけは、次の日のシバサシ当日にもお供えします。


一番手前に写っているワラで作ったネブッグワ(柄杓)を
諸鈍など加計呂麻島の鎮西方面では供えます。

請島では、人型のワラ人形「ウッチュグヮ」を供え、
翌日には「ヤネマタウモレヨ(来年またいらっしゃい)」と言って屋根に投げる。

また与路島では、4本足の馬型のワラ人形「ウマッグヮ」を供え、
夕方に馬の足をあぶって屋根に投げるそうです。


諸鈍集落を、門口に気をつけながら歩くと、
何軒かコスムケをやっているところが。



スクブ(籾殻)がたっぷり。



石を乗せて飛ばないようにしているお宅もたくさんありました。




門口でワラを燃やすコスムケをしているお宅で話を伺うと、
「最近は、スクブ(籾殻)が手に入らなくてね~」とのこと。

諸鈍は、瀬戸内町でも数少ない稲作を行なっているところ。

諸鈍周辺の加計呂麻島の鎮西地区で
コスムケの行事が残っているのも、
稲作をまだやっていることと関係があるのかもしれませんね。




昔は、シバサシ前夜から当日の夜には
夜明かしで家々を回り、
八月踊りもしていたそうです。


『瀬戸内町誌 民俗編』によると、

「このシバサシ行事は、奄美の基層的な行事だと見ることができる。
シバサシとお盆は祖先礼拝的な面で共通するところが多く、
奄美本来のお盆行事はシバサシであったと考えられる」

とのこと。

島に住んで9年目、
初めてこのシバサシを見ました。

目には見えない、
自分が直接知らない大昔のご先祖コスガナシや
海の神様をこのように迎える行事を
シマの人々が昔から継いできたことに改めて驚きました。




2012.09.27

瀬戸内町 加計呂麻島 諸鈍

S.B.I (瀬戸内町 文化遺産 活用実行委員会) 広報K

鹿児島県 奄美大島 瀬戸内町立図書館・郷土館内