9月も中旬が過ぎて、旧暦では8月を迎えました。
昔のシマの人にとって、
この時期は稲や粟、黍などの収穫を終え、一段落。
季節の変わり目、正月と同じような年の改まりを意識する人も多く、
八月踊りや祭りなど、
心浮き立つもっとも楽しい時期だったとか。
行事としては、旧暦8月初丙(ヒノエ)の日にあたるアラセツ(新節)、
その7日後のシバサシ(柴挿し)、
そして、年中行事として集落最大の催しである豊年祭などが目白押し。
瀬戸内町では、
豊年祭は旧暦8月15日(今年は9月30日)の十五夜を中心に行うところが多いですが、
その前後の土日や、アラセツ、シバサシの日に行うところもあります。
そのなかで9月22日(土)に開催された
加計呂麻島の西阿室(にしあむろ)での十五夜豊年祭に行ってきました。
豊年祭は、今年の収穫を感謝し来年の五穀豊穣を願う祭り。
そして、一年の労働の疲れを癒すための
娯楽祭り・集落慰安の要素も強かったとか。
相撲や余興、伝統芸能などが披露され
現在は敬老会も兼ねるところが多く、
子どもからお年寄りまで集落総出、
また出身者もこの日のためにシマへ戻って参加。
いつもは静かな集落も、
たくさんの人々でにぎわう一日です。
西阿室の十五夜豊年祭は、
小雨降るなか、昼12時に開始。
集落のミャー(広場)にある土俵を中心に、
数々の演目が繰り広げられました。
まずは区長の挨拶、
そして力強い「振り出し」から始まります。
チヂン(太鼓)と法螺貝を合図に土俵の周囲を集落青壮年団が
「ヨイヤ、ヨイヤー」と声をかけながら入場。
この振り出しは、
その場を清浄にし荘厳な空気をもたらすとともに、
祭りに勢いをつけてくれます。
そして、次が西阿室の最大の呼び物、テンテン踊り。
土俵の左右から同時に、
「里」と「金久」に分かれた人々が、華やかな花飾りを持って入場。
「テンテンテン ナ~ シュトゥルクテン~」の囃子に合わせ、
先頭の力士たちは、大きな花飾りをユッサユッサと左右に揺らしながら、
続く女性たちは手踊りを見せながら、
土俵の周りを練り歩いていきます。
このテンテン踊りは、
集落を流れる川を境界にして住む里と金久という地域の人々が、
ふた手に分かれて披露。
昔は、その華やかさを競い合っていたそうです。
この花飾り、毎年テーマを決めて新たに作ります。
今年のテーマはどちらも「五輪・オリンピック」。
ご覧ください、金久地区の花飾り!
伝統なシマの行事に、イギリスの国旗があしらわれています!!
花飾りはデザイン・作っているところも、
祭り当日までお互いに知られないように準備。
昔は見張りを立てて相手側に知られないようにしたり、
勝敗をめぐって喧嘩もあったとか。
それだけ盛大にやっていたので、
以前は、宝船や御輿などが花飾りに続くこともあったようです。
力士に続くのは、それぞれに住む女性たち。
11名と決まっています。
先頭の女性は「ムカエッチュ」と呼ばれ、
ずっと後ろ向きで、
続く女性陣を迎えています。
その次の女性が「サキダチ」で、
力飯(ちからめし)と呼ばれる握り飯を持った女性を先導する役割。
その後、お盆に力飯を乗せた女性9名が続きます。
とくに里と金久の花飾りが交差する瞬間は、
テンテン踊りの最大の見せ場。
観ていて、圧倒される美しさと華やかさです。
土俵をぐるりと一周して、終了。
女性が持っていたチカラメシは
一旦シバヤ(柴屋)と呼ばれる観客席の前に置かれていました。
シバヤは木の枝や葉を重ねて屋根を作った、
風情ある観客席。
力飯は、観客に配られます。
これを食べると一年元気に過ごせると言われる、ありがたい握り飯。
その後、奉納相撲や、幼稚園生から大人までの相撲、
親子兄弟対決相撲、
また生後1年以内の赤ちゃんの土俵入りなども。
相撲は、豊年祭にとって、きっても切れない存在。
神々へ奉納する神事です。
その相撲を中心に、
合間にはさまざまな余興が繰り広げられます。
プログラムを見ると、
「LOVEマシーン」、「ビートイット」、「おばーの爆弾鍋」など
気になる余興がいっぱい!
小学生のエイサーはカワイイですねー。
集落のみなさんは、この日のために、
何週間も前から余興や踊りの練習、
テンテン踊りの準備など忙しくされていたと思います。
他の集落の豊年祭にお邪魔するため、
最後までご一緒するができませんでしたが
今年も素晴らしいテンテン踊りを観ることができ気持ちが高揚。
西阿室の”ハレの日”に
触れることができました。
参考文献「瀬戸内町誌 (民俗編)」
2012.09.22
瀬戸内町 加計呂麻島 西阿室
S.B.I (瀬戸内町 文化遺産 活用実行委員会)
鹿児島県 奄美大島 瀬戸内町立図書館・郷土館内