S.B.Iの現場監督ミズノが体験した旧盆の記録。
「旧盆の記録 その1 お迎え」は→こちら
その2は、ご先祖さまをお墓から迎えた後のお供えの話です。
現場監督も一緒に食べ続け、3日間で4kg増したそうですよ。
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先日ありました旧盆の記録その2です。
今回は主に全体的な流れとお供え物について紹介したいと思います。
お盆の全体的な流れは、
「お迎え、お供え(3食の料理も)、送り」。
お迎えをした日(旧暦7月13日)、
最初に出すのはご先祖さまの人数分のお茶、水、お酒。
またその下には、
ショウロウバシをバッテンにしておいたお茶うけのタクワンのつけもの二切れです。
▼旧暦7月13日 1日目 お迎えしてすぐのお供え
迎えた日の夕方ですが、普段は料理を出さないようです。
ただ今回は昼の12時すぎに迎えてきたので、
ご先祖も夜にはお腹がすいているだろうということで、
家で食べるご飯をお供えしました。
▼旧暦7月13日 1日目 夜 (白ご飯、ゆで卵、鶏肉の塩コショウ焼き、ゴーヤの卵炒め)
家によって違うようですが、ここではお供え物に肉や魚を普通に使うようです。
西阿室にいた時(現在は、須手在住)も同じようにしていたそうです。
お供えしたお皿には人数分のショウロウバシが常に用意されていました。
ちなみにこの家では、人と一緒で帰ってきた先祖も夜なると寝るので、
夜には行灯や線香、ローソクを消していました。
ただ最上段右のだけはつけているようです。
お盆の話でよく聞くのが、供え物の作る大変さです。
実際どれくらい出すのか知りませんでしたが、今回記録して初めてわかりました。
2日目から3日目の送りまで、作るかたはほとんど台所で料理をしているような感じです。
なんと8食分で20品。煮物から揚げ物、麺類、汁物までいろんなものが供えられます。
さらにお茶をちょくちょく変え、お客さんが来れば応対するというような感じです。
さらに料理にはお盆用に作るものと、
家庭用に作ったものをお供えしている場合があるので(盆用飯5:家用飯3)、
盆向けの料理の時は、別にいつものご飯もつくることに。
本当に大変ですね。
▼旧暦7月14日 2日目 朝 (白いお粥、豆腐の味噌汁)
▼旧暦7月14日 2日目 昼 (うどん炒め。このあと、時間をおいて3時のおやつでカボチャの煮つけ)
※旧暦7月14日 2日目 夜 写真なし
(青ウルメの唐揚げ、鶏の唐揚げ、ニラ炒め)
▼旧暦7月15日 3日目 朝 (白いお粥、ラッキョの漬物、そうめん入味噌汁、白餅)
▼旧暦7月15日 3日目 昼 (野菜の煮しめ、野菜のかき揚げ、赤飯、里芋煮、白餅)
▼旧暦7月15日 3日目 夜 (エビフライ、焼きハム、白餅)
お供えした料理は、次の料理が出る時に下げて、
家族で残さず食べなければいけません。
普通のご飯もあるので若い子がいない家庭だと全部食べるのがきついとか。
お供えするのは故人が好きだったものや果物、お菓子などです。
お供えものの中で、子供が食べたいと言えば、
「とーとがなし(ありがとう、神様への感謝や祈りの気持ちを表す意味)」と言って
どんどん食べていっていいようです。
また、お供えしてある食材も、時間とともに使っていきます。
初日にお供えした白玉粉は、最終日のお吸い物とぜんざいの団子に、
生野菜は2日目や送り日の野菜の煮付けになっていました。
また、お盆に向けて、野菜を作ってもいるようです。
今年は台風の影響で植えられなかったとのことですが、
いつもなら七夕の日に大根の種を畑に撒きます。
そうすると、旧盆の頃には良いサイズのカイワレ大根のような葉ダイコンができてるとのこと。
それを朝に作る味噌汁に入れそうです。
古仁屋の山田もやし屋さんでは、盆の時にはこの葉ダイコンも売っていると言っていました。
3日目の夕食が終わり、最後に出すのが、
島で葬式や法事の時に出す料理のような、お供えものです。
▼旧暦7月15日 夜 夕食のあとのお供え (椎茸1つ・餅2つの吸い物、厚揚げ薄切り二切れ、豆腐とミョウガの味噌汁)
この豆腐の味噌汁は、昔は半丁ぶん入れていたそうですが、
食べきれないので最近は1/8丁ぐらいにしているとのこと。
そしてこの後に、
デザート?の、餅が2個入ったぜんざいが供えられました。
これを先祖に食べていただき、
またお墓まで送って行くという流れです。
お盆中は料理からお供え、
他家まわりといろんなことがあり大変ですが、
それでもお盆をするおかげで故人のことを思い、
現在生きているいろんな人と人との交流があるのでいいですね。
2012.08.30~9.01(旧暦7月13日~15日)
瀬戸内町 須手
S.B.I (瀬戸内町 文化遺産 活用実行委員会)
鹿児島県 奄美大島 瀬戸内町立図書館・郷土館内