大島紬の魅力を伝えたい

2014年02月28日 | 関連する集落:古仁屋
皆さんは、ここ瀬戸内町にも大島紬協同組合があることをご存知ですか?

平成25年12月8日(日)
平成25年度伝統文化親子体験教室事業 「芭蕉の糸とコースターつくり」
が開催されましたが、
その会場としてお借りした施設が同組合施設でした。

今回は、瀬戸内町大島紬協同組合に所属し、
また「紬美人」として大島紬のPR活動をされている程 頌子さんによる記事です。


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昭和57年に設立された瀬戸内町大島紬協同組合は、2014年現在で31年を迎えました。
 

設立当初は、紬上昇期であり町のあちらこちらで筬音(おさおと)が響き、
春日公園の川沿いでは晴れ渡る日差しの中、
綺麗にピンと張られた紬の糸に「カシキャ」という海藻で糊付する光景があったそうです。


この「カシキャ」という海草も、今ではなかなか採れなくなっているそうです。


本組合にも、
織工場だけではなく染や締機・糊張場もあり、
大島紬最盛期には、大勢の職人達がいて、活気に満ちあふれていました。

しかし、現在は職人も少なくなり、生産反数も激減。

瀬戸内町大島紬共同組合の現在の活動状況は、
大島紬の最終工程である、織りの技術者養成所と紬のハギレや糸を使った小物製作のみとなり、
織工の数は、2014年2月現在で、指導員を含めた7名と海の駅2階に1名が在籍している状況です。

そのほかに、自宅で機を立てている現役の織工さんが数名いらっしゃいますが、
瀬戸内町では、親方や締め等の職人はいなくなり、
本組合は奄美市や龍郷町からの原料をいただいて製織の技術を学んでいます。


時代の流れと不況で職人達が離れ、ほこりまみれの機械や道具。
当時の職人さん達が書き込んだメモだけが残された工場に入ると、
誰もいない静かな場所ですが当時の想いが感じられ、何とも言えない気持ちになります。


しかし、その場所を大切に思い、今でも天気の良い暖かい日には、
物づくりを楽しみに訪れる元気な77歳の方がいます。


その方は、元々親方をされていた徳山吉治さんで、大島紬と共に生きてこられました。
全ての工程を一人で熟し、老眼鏡を使い分けながら細かい作業を楽しみ過ごされています。
紬の事を語り作業しているその表情は、今も変わらない職人パワーに溢れています。


「またこの場所を蘇らせたい・・・
 いやいやもう年だから若い人達がせんば」

とひかえめな中にも紬への情熱があります。


私は、こうしたたくさんの想いが溢れるこの場所を、
大島紬全盛期とまではいかなくても、時代の変化を受け止め、
すばらしい伝統工芸だからこそ受け継がれてきた誇れる技術、職人さん達の想いを大切にして残していきたいです。


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さて、ここから私の紹介をさせていただきます。
私は、生まれも育ちも瀬戸内町で、瀬戸内町大島紬協同組合の事務と自宅での機織りをしています。


現在、織工3年目になる私は、とんとん筬音を奏で機の音が聞こえる毎日を過ごしています。
紬を始めたきっかけは、元々細かい作業や物作りが好きだったのと、後々、子どもの帰りを家で待てる仕事がしたいと思ったことでした。
しかし、織だけでは生活できないのが現状です。
それでも、仕事や家事育児の合間で少しずつでも織りたいと思わせる紬の魅力に私は夢中です。
島の自然に囲まれながらおばあちゃんになっても織り続けていきたいと思っています。


そんな私が、初めて紬に触れたのは、成人式を迎える目前の夏。
その頃、島を離れ大阪で学生生活を送っていた私は、夏休みで帰省していました。
母に連れられ、成人式で着る紬を見に行った事を思い出します。
一人娘の私の為に、両親が紬貯金をしていてくれた事を知り、成人を迎える晴れやかな気持ちと親のありがたさで胸いっぱいでした。
様々な紬を手に取り選び抜いた紬は、私の宝物の一つとなっています。
その大切な紬は、私の振袖となり、その余りの布はまた、私の娘の七五三の着物となりました。
そして今も、親子お揃いでイベントや初詣に出掛け活躍しています。



現在の紬のデザインは、柄にしても色にしても様々なものがありますが、
私は大島紬のシックで粋な柄が大好きです。

そして、年齢を問わずに長く着ることができることも紬の魅力の一つだと感じています。


では、実際に織工を始めてから感じた大島紬の魅力を伝えたいと思います。

私は、織り始める前、機織りは、カタカタ足を踏みかえてトントン糸を織り込んでいくだけだと思っていました。

ところが、織るためには、経(た)てに張られた糸を、一本一本順番に並べ、

ホヤと呼ばれる輪と輪の間を通し、筬歯の狭い隙間を確認しながら、
千本以上もある糸をセットしていくところからの始まりでした。
目がゆがむような果てしない作業と一本でも間違えてはいけない緊張の連続です。

たくさんの作業があったことを目の当たりにした私は、衝撃を受けました。

自分の持っている紬もこのようにして出来上がった事を知り、
もっと大切にしないといけないと改めて感じました。

織りだけでも沢山の細かい作業の連続ですが、
紬が出来上がるまでには何十種類もの工程があり、
その工程ひとつとってみても、根気のいる果てしない作業が繰り返されています。

ひとつの作業を伝えるだけでも大変ですが、
その全ての工程を1300年にも渡り変化を遂げながらも受け継がれている紬の歴史は感動の一言です。
私は、そんな大島紬の歴史に少しでも関わっているのかな~とワクワクしながら織りを楽しんでいます。



職人さん達の沢山の想いが繋がり仕上げられた大島紬は、また身に着ける人達の素敵な思い出を彩り、
良いものであるからこそ、親から子、子から孫へと受け継がれ沢山の人たちの想いの詰まった大切なものであることに間違いありません。

奄美には、守り継いでいくべき素敵な文化と豊かな自然があります。
その宝の一つである大島紬を私は、誇りに思います。
これから、大島紬を通じて沢山の人たちにその魅力を伝え繋げていきたいと思っています。




2014.2.18 瀬戸内町 瀬戸内町大島紬協同組合
調査員 程 頌子