シマの門松を紹介したあと教えてもらった、
与路島での「門松を外した後にする独特の風習」。
1月17日、島案内人育成講座に同行し、
与路島の集落を散策していた時に見ることができました。
それが、この松の飾り。
与路島では、
お正月に飾った門松を1月14日の干潮時にいったんはずし、
その跡に、はずした門松から松の芯や先のほうだけを取って飾っておく慣わしがあるそうなんです。
サンゴの石垣で囲われたこちらのアパート。
入口はブロック塀でしたが、やはり両側に松だけが飾られていました。
与路島の門松自体は、
先日見て回った瀬戸内町全体に共通するものと同じ。
松、竹、椎の木、ゆずり葉などを束ねたもの。
ちょうどアパートの入口に、外した門松がありました。
松の先のほうがなくなっています。
おそらくその部分を飾ったと思われます。
14日に正月に飾った門松をいったん外し、
松だけを飾るのは
小正月を迎えるためなんだそう。
14日に飾った松は、とくに外す日が決まっているのではなく、
自然となくなるまでそのままにしておくとのこと。
与路島では、門松を立てるためのパイプが埋め込まれているお宅が多かったです。
もちろん白砂は周りに盛って。
こちらの特徴的な門口にもパイプが埋め込まれてあります。
松が自然となくなったら、正月まではゴミなどが入らないようにアイスのフタ(!?)などをつけておくとか。
直径がちょうどいいサイズかもしれませんね。
こちらにもちゃんと下に白砂を盛っていますね。
素晴らしいサンゴの石垣です。
正月飾りとして、与路集落の公民館には、
枝ぶりの立派な松も飾られていました。
かつて与路島で盛んに行われていた黒糖生産。
先祖代々受け継がれてきた貴重な地場産業でした。
とくに2月から3月は、製糖の最盛期。
いたるところにサタヤドリ(製糖小屋)があり、
そこに家族全員で寝泊まりしながら作業していたほど、島は活気があり忙しかったといいます。
『 与路島誌 』 (著・屋崎 一)によれば、
「15日を小正月(クヮショウガツ)と称し、
各家庭では丼にシュウクィ(肴)を拵え、忘れかけていた正月気分を盛り返す。
この日の晩は、三味線・島唄・ナンコで賑わい家廻りも各所で行われた」。
また、
『瀬戸内町誌 (民俗編)』には、
「十五日を過ぎたら、村の人はほとんどの人が山の砂糖小屋に泊りこみで作業に出かけるので、
村の人が半分ほどになった。だから行事は十五日で終了した」との記述がありました。
島の人にとって正月から1月中旬のこの小正月までが、
自宅でゆっくりとできる
わずかな時間だったのかもしれません。
与路島の松飾りは、
そんな小正月を迎える象徴的なものでした。
< 参考文献 >
・「与路島誌」 屋崎 一
・「瀬戸内町誌 (民俗編)」 瀬戸内町教育委員会
2013.01.17 瀬戸内町 与路島 与路
S.B.I (瀬戸内町 文化遺産 活用実行委員会) 広報K
鹿児島県 奄美大島 瀬戸内町立図書館・郷土館内