篠川しのかわ
大島海峡の中央付近、奄美大島側篠川湾に位置しています。江戸時代、薩摩藩に多くの黒砂糖を上納した芝家があり、集落の奥には芝家の墓群が並び歴史を伝えています。また、学校付近には農学校跡の石碑が建てられています。
文化遺産は、芝家の墓所や農学校跡があります。
【信仰】
篠川集落の入口に入る手前の右手の山に神社があり、そこをテイラと呼んでいます。その場所はウレガミと呼ばれています。篠川集落では,神社の所在地が移動しているという現象を見ることができます。篠川集落での一番古いと言われている神社は摺勝に行くミチョーラと呼ばれる山にあったといわれています。その場所から,現在のウレガミの場所に移されています。篠川と阿室釜集落はそれぞれ独立したミャー(集落の祭りを行う広場)をもっています。豊年祭は昭和50年頃には別々に行っていたという記録があります。
集落の聖域とされるトネヤとアシャゲですが,初めは集落の中里地区にあったのですが,中里地区から上里地区に移動して、さらに中里地区に移動して昭和38年頃に無くなったという記録があります。この記録から篠川集落では,トネヤとアシャゲが2回移動しているという特徴が上げられます。
また,学校の裏の一部の場所ををジャラヤマと呼び、この場所ではノロ神達が神祭りを行ったという話が残されています。また集落の水源地をカホシャラと呼び、この森から神々が降りてきてジャラヤマで休憩し里のトネヤに来たということも言われています。
集落内の内赤地区には大きな蘇鉄があり,その蘇鉄の木をステイツガナシと呼んでいました。
摺勝には田畑佐分仁翁が設計したといわれる潮止めの水門が2か所あり,どの水門をイビグチと呼んでいました。